とても久しぶりにブログを書きます
10日ぶりでしょうか
年明けはたくさんの人と会い、沢山の思いに触れ、沢山の笑顔に囲まれました
人は人の間で生きるからこそ人間なんだ
そんな当たり前のことをしみじみ感じていました
今年は蛇年、脱皮の年ですね
きっとみんな、それぞれのタイミングで今までの自分を守っていた皮を脱ぎ捨て、成長してゆくのを実感出来る年なんだと思います
私はというと、毎朝毎朝メッセージと共に起きてその意味を感じたり.ネットで調べたり(何故か英語で来ることも多く)そんな毎日でした
少し前にやってきたメッセージは、
『明日死ぬと思って生きよ、永遠に生きるように学べ』
でしたが、先日魂友が、
自分は1,000年くらい生きると思ってる人が多い気がするよね、、と話していました
なるほど、みんな死は怖いから自分の思考から外して生きているのか、、、、どの人にも平等に起きるのは産まれることと死ぬことなのに
新年最初のブログが生と死とは、、と思いましたが、私は昨年開催したメキシコリトリートで、むしろ死は祝いであるというメッセージを受け取りました(勿論自死は別です)
人は感情の生き物
そのめんどくさいとも感じる感情を味わいたくて地球を選び人間という生物を選んだ
時に嫌になることもあるかも知れない
悦び溢れて小躍りしたくなる時もあるかもしれない
その全ての感情を選んでいるのは自分
そして、周りは純粋な鏡
味わいたかったんだ
その全てを
目覚めとは、それら全ての感情を自分で包み込み、その自分こそを愛して共にあることなのではないだろうか
何故なら、それらの感情を感じることを選んだのは紛れもない自分なのだから
ここからは私の勝手な仮説なんですが、
宇宙は最初は大いなる意識だけがあり、その大いなる意識が分光したものが私達のスピリットで、その分光した意識は永遠の自由が与えられていた
その上で、水やら鉱物など様々な元素が生まれ、
地球上で霊的な高みを目指す人は、人として溢れるような感情を感じたのち、また鉱物や水のような元素意識に戻ってゆくプロセスに入るのではないだろうか
どれだけの輪廻転生を繰り返したらそうなれるのか、それは謎だけれども
今朝は、そんなことをつらつらと考えていました
素晴らしい一年にしましょう!