今回の旅は友人と二人、ブッダの足跡をたどる旅。
デリーに向かう飛行機から、またもやブロッケン現象!!
左の写真の左上にかすかに見える山は富士山です。
まずインドに着いて一番印象に残ったのは、牛。
野良牛の存在。
道路の真ん中、車の間を悠然と歩く牛。
野良牛は、道端にいっぱい。
聖なるガンジス川に向かう途中の町、バラナスでは人間の残飯を野良牛と野良犬が食べてくれる。そういった風景がそこかしこにあって、日本の感覚とかけ離れていて、目を背けたくなるような感じに襲われた。
でも、そんな私に導き手の声がささやく。
「目を背けないで、ちゃんと見なさい」と。
車の車窓から、頑張って直視した。
「そうか、これを見に来たのだ」そんな気がした。
12億以上の人が暮らすインド。その現実。
その夜、ガンジス川のお祈りに参加するため 徒歩&自転車に載せてもらい
バラナスの町を通り抜けた。
ガイドさんの後をしっかりついていかないと、はぐれたり、無秩序に行きかう車や牛や自転車のため、道を横断できないというスリルを味わう。
何だかすごい。インドの人達の俊敏性と自他への絶対的信頼があの交通状態を作っているのだという気がした。
すさまじい交通状態なのに、ほとんど事故は起きないとガイドさんは言う。
明日11月11日は、日本でいうところのお正月のようなめでたい日らしい。
ラクシュミーを祝う日とかで、凄い人出だった。
そうして、インドの雑踏にも慣れてきたころ、ふと野良犬の表情が気になった。
ほとんどの野良犬が人を恐れていないというより、気にもしておらず、自分を持っていて哲学的な目をして道を歩いている。
「自分の人生は全て自分で決める覚悟」
そんな感じなのだ。
そんな野良犬に感動していた私だったけれど、今度は牛の表情に注目してみた。
白い牛の目が気になる。
何処かで見た目だ。
・・・そうだ!仏像の目だ!
その時、導き手の声がした。
「そこかしこにブッダはおられる」と。
バラナスの混沌とした風景に白い牛が守り神のように存在している気がしてならなかった。なんとも言えない感動が押し寄せた。
以前
「ブッダもイエスも波動の悪い場所には行かない。などということは仰らない」
という一文を読んだことはあったけれど、こういうことだったのかと。
そんな気付きを感じた時、「そこは、もう見つくした」と、また導き手の声がした。
野良牛とは、牛は神経質な動物なので、ちょっとしたことでお乳が出なくなるらしい。そうすると、牛肉を食べる習慣のないインドでは飼い主はエサを与えなくなり、野良牛になってゆくのだとガイドさんが話してくれた。
人間の残飯を野良牛が食べ、その糞は日に干して燃料にする。
究極のリサイクルだった。
ガンジス川の朝のお祈りは、小船に揺られながら眺めることが出来、朝日が素晴らしかった。
お決まりの沐浴。信心深い方は潜って泳いでいた。
時間を追うごとに、自分を覆っている色んなものがはがれて落ちてゆく感覚があった。
感謝