ここのところ、表面的に起きてる現象に様々な感情を意味付けして、あーだ、こーだと深掘りしてみたところ、実はそこに実態はなくて、意味もなくて、私という狭い認識がぐるぐるしていたことに気づきました。
極めて狭い箱に入った自分を通して外を見る限り、実は全てのものは制限だらけで、愛情という名の紐で縛った関係性の中でうごめくエネルギーでしかなかった。
何故かそこに行きつきました。
人は学校という制限の学びの段階を経て社会に出て、家庭を持つというプロセスを選ぶ人が多いですが、
そこで苦しみや挫折を経験し、欠乏感、不足という思いにかられる。
何か不足を埋める答えはないかと目に見えない世界を探究し始める人もいる。
でも、狭い箱の中の自分がそれをしている限り、やがて目に見えない世界でもぐるぐるが始まる。
最近、
何故かわからないけれど、そんな考えが湧き起こり、今までの自分を解体し初めています。
自分のこの身体は、魂が様々体験するために借りたものであると感じていたけれど、その自分の魂という認識すら大いなるところからの分離であること。
今、そんな不思議な感覚に包まれています。