久しぶりの投稿になります。
9月の末に、本の原画展を行い、とてもたくさんの方に来ていただき、本や原画を求めていただきました。
昨年末から取り組んできた本がとても美しく出来上がり、皆さんに喜んでいただける事は、何より嬉しいです。
本当にありがとうございました。
そんな最中、
母は私の本が仕上がるのを待つかのように、体調を崩し、病院に行ったところ、末期癌でした。
スキルス癌のような散らばるものでしたので、進行が早いと言われました。
原画展の時は、看病を一時中断しての開催でした。
母は本の完成をとても楽しみにしていてくれましたので、原画展後に看病のため実家に戻り、母に本を見せたところ、目を細めて
「綺麗な本」
と、喜んでくれました。
自分も体調が悪いのに、本を書いて疲れたのではないかと、私の体を心配してくれるようなひとでした。
母は、自分の死期を感じたいるかのような言葉を言っては、私を悲しませていましたが、本当にそのとうりになりました。
日に日に体調が悪くなる母を、ただ、毎日ヒーリングしていたのですが、毎晩父に手を握ってもらいながら、娘の私にヒーリングされる日々は、きっと幸せだったと思います。
訪問看護、往診、ヘルパーさん、沢山の方の力を貸して頂き、しばらく頑張っていたのですが、最終的に母は病院に入ることを選びました。
子供、孫、ひ孫逢いたいひと全てに逢えて、言葉を伝えてからの決断でした。
それが私達家族への心遣いだっただけに、その選択は辛いものがありました。
「なんとしても家で看とりたい」
そんな思いを伝えるために、お医者さまの許可を得て、(コロナの為、面会が難しい)母に家族で面会に行く日、母の魂は身体を離れました。
あっけないほど、潔く、美しい別れでした。
病院にいる間も、痛みは全くなく安らかな日々だったようです。
母は、私が行うヒーリングをとても気持ち良いと言ってくれていました。
癌が治れば良いな。
今までのいくつかの症例を見て、そんな風に思っていた、愚かな自分がいました。
「人生の全てのことは、自分で決めている。
それが死であっても」
その言葉を思い出しました。
母はいつも、1週間くらい寝込んでから亡くなるのが一番いい。
と、言っていました。それよりは少しだけ長くなりましたが、母の望みどうり、長く患わずに痛みなく、光の世界へ旅立てたのだと思います。
母の戒名の最初の部分に
「清光」という文字が入っていました。
合掌