最近二歳半の孫がお兄ちゃんになりました。
初孫でみんなの注目を浴びていた孫は、突如自分への愛情を二分する妹という存在が出現したものだから、さあ大変。
何とか、みんなを困らせ、注目を自分だけに集めようとする。
そのやんちゃぶりはエスカレートしてゆく様相。
その様子を、ばあばという客観的になれる立場から見させてもらっていた。
子供ってなんて正直で、純粋でその場限り(笑)なんだろう。
今泣いたカラスがもう笑った。まさにそんな感じ。
私たちの中には三歳児のサバイバルが今も残っているから、理性でコントロールしているその下には、三歳児の要求がきっとある。
私は、少しだけ孫に振り回されながら、そして考えてみた。
私の中で反応しているものは何だろう。
それは「あきらめ」という自分への哀しい贈り物の存在だった。
泣いてもだめだからあきらめる。
お母さんを困らせるのは嫌だからあきらめる。
困らせることで悪い子になってしまうからあきらめる。
叶えたこともたくさんあるけど、あきらめたこともそれ以上ある。
あきらめと受け入れるということは、似て非なる感情である。
私は孫との時間の中で、大切なことを身を持って見せてくれた孫に感謝した。
幼児は小さくても立派な人格を持っています。
その年齢からくる未熟さゆへに大人を困らせるけど、それは私達へのメッセージ。
あなたの中の三歳児は、健やかですか?
諦めではなく、受け入れることが出来ていますか?
そんなことを教えてくれた二歳半のお兄ちゃんは、一か月たった今あきらめではなく、受け入れるということにシフトしつつあります。
忍耐力のあるお母さんのお蔭で、発散し泣きわめいて困らせても、受け入れてくれるという環境があることを確認できたから。
大切なことをあきらめない。
それは子も母も同じ。
自分を信じる力はそこから育つ。そんな気がしています。