近頃ちょっと書き物をしていることもあって、
自分の奥深くを見つめてゆくうち、ふわりとベールがはがれた瞬間があり、
気付いた。
みんな大元で一つに繋がっている。
地球上でも宇宙でも何をしていても、大いなる存在からみれば、何一つ違いがなく 愛おしい存在なだけであること。
どの人も光を携えた存在であり、それを見えなくしているのは自分自身で、その自分の光を隠しているベールをはがすタイミングは自分で決めている。
大いなる宇宙の共演者たち。
何なのだろう。
この壮大なドラマ仕立ての宇宙の流れは。
最終的にというか時間などない宇宙からすれば 今は、というべきだけれど、
何の囚われもなく自分自身を楽しませたものこそが光り輝く宇宙の真実。
そういうこと、ちゃんと理解しているつもりだった。
でもつもりだけだった。私。
私達は、自らのしていることに意義を感じたがる生き物であるけれど。
今まで私は好んでノンジャッジという言葉を使ってきたのだけれど。
その意味はとんでもなく深いところにあった。
先人がおっしゃっているように、宇宙の原理原則、大いなる流れ、そのすべてが神という名前で表されるとすれば、人間こそが神に似ているものに違いない。
似ているということがミソなのだ。
そしてそのことを完全に忘れている私達。
眠りこけることは甘美な果実だ。
明日は鹿児島出張です!